太平洋を渡った少年
そのミュージカルが開幕したのは
1884年9月4日のことでした。
ロングランヒット作「アドニス」
そのミュージカルが開幕したのは1884年9月4日のことでした。脚本はウイリアム・ジルとヘンリー・ディクシー。音楽はエドワード・ライス。ニューヨークのビジュー・オペラ・ハウスで六百回にも及ぶロングランを続けたヒット作の名前は、「アドニス」といいます。
アドニスというのは、ギリシア・ローマ神話につたわる美少年の名前。彼は、美と性愛の女神アフロディーテ(俗にいうヴィーナス)のお気に入りでもありました。危険なことはせぬようにというアフロディーテの懇願にもかかわらず、イノシシ狩りに出かけて命を落としたのですが、その血からはアネモネの花が生まれたと、神話は語っています。
ミュージカルに触発されて生まれたアドニス
ミュージカルの方は、そんなアドニスの彫像が突然命を吹き込まれ、さまざまな冒険に巻き込まれていくというものだったようですが、このミュージカルに触発されて生まれた〈アドニス〉というカクテルの方も、世界を股にかけた大冒険を繰り広げたのです。
ミュージカル同様、カクテルの方も最初はニューヨークのバーで大評判となったのですが、その人気はニューヨークにとどまるものではありませんでした。
日本情緒を織り込まれたバンブーに
遅くともその五年後までには、最後のフロンティアを求める人々とともに大陸横断鉄道に乗って、はるかカリフォルニアへと伝わっていたのです。
その年、〈アドニス〉はひとりの人物に手を引かれ、道案内をつとめたのは、当時の横浜グランド・ホテルに支配人として迎えられたルイス・エッピンガー。
〈アドニス〉は、エッピンガーの手で日本情緒を織り込まれ、あらたに〈バンブー〉としてグランド・ホテルのメニューに載ります。
バンブーは日本から誕生の地、ニューヨークへ
このカクテルは、相前後して日本と同盟を結ぶことになるイギリス人の味覚に見事にマッチしました。
イギリス人といえば、もともとヘレスというスペインの地酒でしかなかったものを「シェリー」という名で広めた張本人。そのシェリーを使った〈アドニス〉や〈バンブー〉を嫌う道理はなかったのです。
彼らはこのカクテルを、おそらくはシンガポール、インドと経由して、ヨーロッパへと持ち帰ったのでしょう。あるいはふたたび太平洋をわたって、カリフォルニアからアメリカを東進していったのかもしれません。
少なくとも1910年には〈アドニス〉誕生の地、ニューヨークで、チャーリー・ホフマンというバーテンダーが〈バンブー〉を紹介していることが記録に残されています。
その後、一世紀が過ぎようとしていますが、〈アドニス〉も〈バンブー〉も、いまなお現役の食前酒として活躍を続けています。彼らの大冒険は、まだまだ続くことでしょう。