メルボルン中心部のとある裏道。建物の大きな壁だけに囲まれた味気ない横道だ。
そんな一角にある、見過ごしてしまいそうなほどそっけない木製のドア。店の名前すらない。
ドアを開けようとすると、たまたま近くで立ち話をしていた女性達に「ここってなんの店なの? 前から気になってたのよね」と尋ねられた。そう、外から見る限り、ここにバーがあるとはまったく分からない。
ドアを押して中に入ると、驚くほど広々とした空間が広がっていた。全体はゆるやかな仕切りによって4つに分けられる。バーカウンターのある中央部、その左奥が数々のボトルに囲まれたウイスキールーム。右には半個室のボックスシート、そのさらに奥には大きなテーブルが鎮座する部屋が控えている。
いずれも重厚で品のよい豪華さが漂う。ドア1枚を隔てて、ここだけがまったくの異空間。外が殺風景なだけに、このギャップは気持ちのいいほどのサプライズだ。アシスタントマネジャーのジャック・ソティ氏はこう話す。
「ちょっとミステリアスでしょう? 店のコンセプトはEscapism(現実逃避)、そして古きよき時代にインスパイアされたSpeakeasy(隠れ家空間)。一歩ここへ入ってきたお客さまには、とにかくリラックスして楽しんでいただきます」
空間の大きさにふさわしくバックバーも大規模で圧倒的だ。だがコンセプト通り、ドリンクは飽くまでクラシックの影響を受けたものがメインとなる。
「モダンなツイストを加えることもありますが、あまり凝った分子カクテルなどはつくりません。一日の終わりの空腹の時間帯には、食べながら飲めるようなものが欲しいでしょう?」
こうソティ氏が語るように、同店は2011年の開店当初から“フードフォーカス”という明確なアイデンティティを持っている。それを代表するのが17人限定、完全予約制のカクテルマッチングディナーだ。
「奥の専用スペースで、5皿の料理とそれぞれに合うカクテルを楽しめるコースディナーです。しかも、シェフのトークを聞き、バーテンダーのカクテルメイキングを眺めながら……。ちょっとした劇場のようだと人気があるんですよ」とソティ氏は胸を張る。
コースの内容は、季節や仕入れの状況でどんどん変化する。過去の一例を紹介すると、「ホタテ、エビ、生牡蠣のシーフードサラダ」にはあらかじめウオッカで風味をつけ、自家製マティーニを合わせた。また「鹿肉のたたき、セロリのピューレ添え」には、白トリュフ塩でスノースタイルにしたバジル風味のジンベースカクテルを用意、等々。口コミで噂が広がり、週末は常に予約でいっぱいだという。