「生ジョッキ缶」チームメンバー集結!今だから話せる、それぞれのストーリー。
いよいよ発売日を迎えた「生ジョッキ缶」。今回は特別編として、〈商品企画編〉〈研究開発編〉に登場した4名が一堂に会した座談会の様子をお届けします。「カンパーイ!」から始まり、数々の思い出や苦労話を挟みつつ、ここでしか聞けない“裏話”も。
ぜひ皆様も、「生ジョッキ缶」をお手元にご用意いただき、ご一緒に楽しみながらお読みください。
なぜ「生ジョッキ缶」は
こんなにも歓迎されたのか?
中島:この「生ジョッキ缶」、ありがたいことにお客様から大反響をいただいております。私は率直にうれしい反面、ご期待にきちんとお応えできているか不安もあるんですけど、皆さんはどうですか?
古原:もちろんうれしいです。もともと「自分が欲しいものを作りたい」という想いがあったので、形にできたら必ず魅力的に感じていただけると考えていましたが、想像以上でしたね。
伊東:アサヒに入社して長いですが、ここまでワクワクして、心の底から「なんとしてもやり遂げたい!」という気持ちになったのは、この商品が一番でした。お客様にもこのワクワクが伝わったのかなと思うとうれしいですね。
森田:私は入社2年目でチームに加わった最年少メンバーなので、今後も改良する上で若者ならではの感性を反映できればいいなと思っていて。SNSも頻繁に見ますし、毎日のようにTwitterで「生ジョッキ缶」をエゴサーチしてます(笑)。
中島:視覚的にもわかりやすい商品だから、SNS、特に動画との相性はいいよね。
森田:アサヒの社員じゃなかったら、私も開栓動画をInstagramのストーリーに上げてますね(笑)。
古原:「生ジョッキ缶」は、商品コンセプトが「缶のフタを開ける」というアクションに直接結びついているという点でも新鮮なんですよ。
中島:体験型の商品なんだよね。それが反響の大きな理由なんだと思う。お客様調査でも、好きとか嫌いとかの評価の前に「なにこれテンション上がる!」って、みんな前のめりになるんですよ。そこがこれまでの新商品と大きく違うところでしたね。
まさに“ありそうでなかった”商品。
中島:「生ジョッキ缶」って、コンセプトはすごくシンプルなのに、今まで世の中になかったわけじゃないですか。実は私、約10年前にも「フルオープンの缶ビール」を企画したことがあるんですよ。でも、当時は泡を出すという発想がなかった。それで一度諦めてしまったんです。
古原:当時を知る人からは、考えたけどダメだったんだよって言われましたね。でも今回は泡を出すから違うんです!って。
森田:私も実は考えたことがあって。というのも、入社後の研修で真実を知るまで、お店のスーパードライと缶のスーパードライは中身が違うものだとばっかり思ってたんですよ。
古原:同じだよ(笑)。
森田:でも、実際飲むとやっぱり違う。それで、缶もジョッキみたいに、フタが全部開けばいいのになって思ったんです。
古原:森田さんの研修中にたまたま会うことがあったんですが、そのときに「私、絶対にフルオープンの缶ビールを作るんです!」って言われて。「それ、いま作ってるよ」って言うしかなかった(笑)。
森田:それで、試作を見せてもらったんです。泡立ちのメカニズムとか、裏の苦労は何も知らずに、ただ面白そうとだけ思って「すごい!絶対作ってください!」って。そうしたらまさかの配属で(笑)。
古原:私は最初から引きずり込もうと思ってました(笑)。もし実現できたら革新的な商品になるので、会社のためにも、そんな経験を若いうちにしてくれたらと。実際にこの半年ほど、発売までの最後のひと押しを森田さんが中心になって進めてくれたと思っています。
中島:伊東さんも途中からの参加ですよね。私たち商品企画サイドと、古原さんたち研究開発サイドの間を取り持つ形で加わっていただきました。
伊東:最初に話を聞いたときは、これが実現したらすごいぞと思うと同時に、技術的なハードルの高さを直感しましたね。正直言うと、どのように泡を出すのか、泡立つ缶にどのように充填、巻締めするのか、イメージはまったく湧いてきませんでした。
今だから話せる、
ぶつかり合いの日々。
中島:私もあとで知ったんですけど、泡を出すのって、思ったほど簡単じゃないんですよね。今まで世の中になかった理由はそれだったんだなと。
古原:泡が出てからも苦労をしていて。試作で十分な泡が出るようになってからも、その泡をお客様の手で再現できるようにする段階で、すごく時間がかかってしまいました。
森田:〈研究開発編〉でもお話ししましたが、冷やす環境によって泡立ち方が違うんですよ。開発側としては、すべての条件で均一な泡が出るようにというのは無理難題に近いと思っていました。中島さんとは一時期ずっとケンカしてましたよね(笑)。
中島:条件によって泡立ちが変わるというのは何度も説明を受けたんですが、そこで納得してしまうと終わりなんですよね。一例を挙げると、私もお客様と同じ環境でテストするために試作缶を持って帰って、家の冷蔵庫で冷やしてみたんです。それで開けたら、なぜか泡が少ないんですよ。もう不安になっちゃって。結局その話は、冷蔵庫を買い替えたばかりだったからか、冷えすぎてしまったのが原因なんですけど(笑)。でも、お客様の身に同じことが起こったらと思うと、やっぱり許容できなかった。
古原:やはり最後はお客様に届けるものですから。私たちが驚くものじゃなくて、お客様が驚くものを目指そうという、これだけは全員に共通していた想いですよね。
中島:本当にそうですね。社内的な注目度も高かったですが、お客様が驚いているかどうか、これが絶対的な判断基準であったことが大事でした。
伊東:噴きこぼれを恐れる慎重派もいれば、もっと噴かせろというイケイケ派もいて。そこを調停して回るのも大変でしたね。
古原:そういう意味では、私はイケイケ派で。とりあえずやってみて、あとから調整すればいいやというタイプ。逆に伊東さんは細やかで、きちんと論理立てて進めていくので、一緒に組めてよかったです。
森田:古原さんはすごく楽天家…ポジティブですよね(笑)。
伊東:古原さんの、どんどんアクティブに行動する姿勢に引っ張られることもありましたし、慎重なアプローチが必要な場面では私が前に出るという形で、チームとしてうまく進めていくことができました。
衝撃の「6月30日事件」と
「見本缶事件」。
伊東:私にとって最大の思い出は、工場で初めてラインテストをした6月30日です。それまでは試作でしっかり泡が立っていたので、大丈夫だという自信があったんですよ。意気揚々と中身を充填して、関係者を集めて、ジャジャーンって開けたんですね。そうしたら、まったく泡が出なかった。
古原:シーーーーンってなりましたよね(笑)。工場長はワクワクで動画を撮ってたのに、空気が凍りついた(笑)。
伊東:もう焦っちゃって次々パカパカ開けたんですけど、どれも泡が出ない。これはどういうことなのか。研究所で作るものと工場で作るものはこんなにも違うのかと。この日から生活が一変しましたね。古原さんと工場に行って、生産試験に立ち会って、夜遅くにやっと研究所に戻ってくる。
古原:社用の電気自動車の充電が切れて、帰れなくなったこともありました(笑)。
伊東:全力疾走のまま夏が過ぎ、秋が過ぎ。お正月の初夢も「泡の夢」で。
一同:(爆笑)。
中島:ここぞという時に泡が出なかった話は、もうひとつあって。新商品は発売日が決まると「見本缶」というものを作るんですね。それを全国の営業スタッフに配って、商談に使ってもらうんです。その見本缶が、今だから言えますけど、ちょっと物足りなかった。
森田:昨年12月に作ったんですけど、その時点では最大の泡立ちだったんですよ。
中島:そうなんです。でも、営業スタッフにとっては商談に使えるレベルではなかったんですね。全国の営業拠点から「泡が出ないぞ!」という声が殺到して、見本缶を3回も作り直すことになりました。
古原:どうして泡が出ないのか、当時はその原因がわからなかったんです。今は技術的に解明されてきていて、そこからの3ヶ月でぐっと改善できたので、なんとか発売に間に合いました。
森田:フタを開けるまでわからない、安心できない商品なんですよね。
古原:毎回「頼むぞ!泡!」っていう(笑)。
中島:心拍数が上がるんですよ、開ける前に。缶ビールってそんな緊張して開けるものじゃないですよね(笑)。おそらくこんな経験、後にも先にもないんじゃないかという気がします。
従来型の開発アプローチからの
脱却。
古原:「生ジョッキ缶」は、100点満点じゃないと認めないという従来の開発方針だと、絶対に生まれなかった商品なんです。もしかしたら不完全かもしれないけど、すごくいい価値を秘めているから、みんなで作りながら考えようという姿勢で進めていきました。
伊東:これまではクオリティを突き詰めるからこそ、完璧に作って、完璧に検証して、パーフェクトな結果を出してから次の工程に行くというやり方をしていたんです。
森田:経験則ではあるんですけど、そのやり方だと、あと3年くらいかかっていたでしょうね。
古原:実は、もっといいものにできるんじゃないかという着想も既にあるんです。いったん発売はしますが、今後も120点、いや150点を目指そうというように、開発との向き合い方が大きく変わりました。
森田:あとはコロナ禍での開発ということで、オンライン会議がすごく増えて。それが良い方に転がって、密な会議ができるようになった。生産試験の最中でも工場と打ち合わせができるので、作りながら考えるスタイルには追い風になりましたね。
古原:確かに、最初は対面で会ってからという企業風土がガラッと変わりましたね。中島さんともオンライン会議が多かった。
伊東:今までできそうでできなかったいろいろなことが、この開発を通じて一気にできるようになったよね。
中島:やっぱり“挑戦”ですよね。スーパードライのコンセプトもそう、「生ジョッキ缶」の開発もそう。この熱量がだんだんと社内に伝播して、求心力を生み出せたのであれば、開発に携わった一員として誇りに思います。
それぞれの想いとメッセージ。
古原:この商品は最初から、どうやったら泡が出るかなと考えていたときからすごく楽しくて。みんなに面白いねって言ってもらえて、まず研究所を巻き込んで、次に本社に提案してという、だんだん大きくしていく過程も楽しかったですね。スーパードライでやることが決まったときも、そんなに期待してくれるなんてうれしいなと。そして最後には、全社員の想いをひとつにしてくれた。その中心にいられたことが本当に幸せです。
森田:私にとって「生ジョッキ缶」は、ただただチャンスをくれたものでした。若手でもこんなプロジェクトに関われるんだとか、技術者ももっと夢をもっていいんだとか、それらを証明できたことがうれしいです。こんな話、お客様には関係ないと思われるかもしれませんが、お客様がワクワクする商品は、私たちがワクワクしていないと作れないと思うんですね。その上で、社員のワクワクを支える風土を醸成するためにも、「生ジョッキ缶」の開発ストーリーには価値があるんだと思います。
伊東:旗振り役として多くの人と対話を重ねる中で、意思が伝わるというか、想いが重なる瞬間があるんです。みんなが「生ジョッキ缶」の魅力に惹かれて、どんどんひとつの方向にまとまっていく、ムーブメントみたいなものを日々体感していました。手前味噌ではありますが、やっぱりアサヒはすごいな、力があるなと感じましたね。本当によい経験をさせていただいたと思います。
中島:この開発を通じて実感したのは、世の中にないものを作るというのは、とにかくいろんな人の力を借りないと難しいということ。だけど伊東さんが言うように、アサヒって集まればできるんだ、集まれる会社なんだ、と思えたことも大きいですね。それには森田さんが言うように、まず自分がワクワクしていることがすごく大事で、古原さんのように楽しむこともきっと大事で。会社の上層部からも、この「生ジョッキ缶」にしっかり賭けていこうという想いを感じましたし、多くの人が協力してくれたからこそ、一丸となって走り抜くことができたんだと思います。
「生ジョッキ缶」の開発はここで一区切りですが、これからもさらなる改良を続けていきますので、引き続き応援よろしくお願いいたします!