EPISODE

世界中の大海原を
颯爽と駆け巡ったカティサーク号。
それは、軽やかに
新しいおいしさを生み出し続けた
ミキサブルなウイスキー
「カティサーク」の象徴でした。

伝説の快速帆船、
カティサーク号。

カティサーク号は、1869年にスコットランドで建造されたティークリッパー、紅茶運搬用の快速帆船でした。当時最速のクラスを誇り、中国からロンドンまで100日ほどで走ったということです。
その後、オーストラリアやニュージーランドから羊毛を運ぶウールクリッパーとして活躍。ポルトガルの船として貨物を運んだ時代を経て、1922年、再び英国のカティサーク号となり帰還しました。

ウイスキー「カティサーク」と
山吹色のラベルの誕生。

1923年、ロンドンにある王室御用達の酒類業者がアメリカ向けのスコッチウイスキーを完成させ、ブランド名やパッケージについて話し合っていました。
そこに招かれた船乗りでもあった絵師が、カティサーク号の勇姿を提案。スコットランドでつくられ、名前もスコットランド詩人の作品に由来することから、新しいウイスキーは「カティサーク」となったのです。
本来、ラベルの色はクリーム色の予定でしたが、印刷ミスで鮮やかな山吹色に。しかし、それがあまりに鮮やかだったため、あえてそれを採用したのでした。

BEST MIXED SINCE 1923

「カティサーク」が英国から海を渡って輸出され始めた頃、アメリカは禁酒法の時代(1920年~33年)。当時はもぐり酒場“スピークイージー”で、カクテル文化が一気に花開いたときでもありました。
「カティサーク」は、その洗練されたエレガントな味わいでアメリカのウイスキーファンの心をとらえ、さらにミキサブルなウイスキーとして多彩なカクテルを生み出していったのです。

その雄姿は、
今も博物館としてロンドンに。

カティサーク号は第二次世界大戦も戦火をくぐり抜け、1951年の英国博覧会に展示された後、英国海軍ゆかりの地・ロンドンのグリニッジへ。1957年から一般公開されました。
2006年からの修復工事中、一部が火災に見舞われましたが大事には至らず、2012年に修復が完了。現在は王立博物館の一部として、多くの人々が訪れる観光スポットとして愛され続けています。
なお、「カティサーク」のブランドオーナーであるフランスのラ・マルティニケーズ社は、博物館と提携し、カティサーク号の保全・維持活動に取り組んでいます。

グリニッジにあるカティサーク号