エピソードテーマ
ビア語り~母の日編~「母とビール」
グランプリ賞
しゃおらんさん(女性/28歳)のエピソードを、
一筆書きアーティスト奥下和彦さんが
アニメーションで表現しました。
グランプリ賞の
エピソードアニメーションはこちら
準グランプリ賞
ご当選された方のエピソードを
ご紹介いたします。
Annaさん(女性/30歳)の
エピソード
小さなときに父親を亡くして以来、母は女手一つで私と妹を育ててくれた。母はビールが好きだったけれど、平日の夜は育児に追われていたのか飲んでいる姿を見たことがない。けれど、金曜の夜はビールが解禁される。記憶の中で、いつも母が飲んでいたのはAsahiビール。父としての役目も果たしていた母は、当時の私にとっては少し怖い存在ではあったけれど、TVを見ながらビールを飲むといつもより朗らかになったのを覚えている。そんなときは、何かお願いをしても「うん、いいよ」って言ってくれることが多かったので、少し気まずいお願い事はここぞとばかりに金曜の夜にしたものだ。ビールのおかげで、いつもよりもテンションの高い母と、おつまみとして購入したポテトチップスを私と妹も一緒に食べる毎週金曜の夜が大好きだった。仕事をしている今なら分かる。金曜の夜に飲むAsahiビールの美味しさは格別だ。そして今年、子供を産んだ今なら分かる。親にとって子供は何物にも代えられない大切な存在だと。美味しいものと大切な存在が掛け合わさったら、楽しい時間になるに決まっている。これからも、わたしにとって毎週金曜の夜は大好きな時間であり続けるのだろう。
みけひめさん(女性/39歳)の
エピソード
「母」になって数年が経った。ふにゃふにゃな小さな命のために、月イチで出かけていた美容院もネイルも飲み会にも行かなくなった。もともとお酒が好きだったけれど、手にとるのはノンアルコールばかりになっていた。毎日家族のために奔走し、気づけば、ふにゃふにゃだった我が子は自分で歩き、食べ、よく笑うようになっていた。家族で餃子を包んで食べようとなった土曜日、下戸な夫がコンビニに行き、ビールとノンアルコールビールを買ってきた。そしてビールを私に差し出し「ママの休日」と笑った。数年ぶりに飲んだビール。懐かしいようでどこか違った気がしたのは、自分の環境が変わったからだろうか?苦いだけじゃなく、ふくよかな香りを楽しめる自分がいた。今は週に一度、ママのビールタイムがある。我が子も買い物に行くと「ママビールまだある?」と聞いてくれるほどになった。成人した我が子と、下戸な夫と、私でビールを飲む日を酒のツマミに、今夜も私はビール缶を開けるのだ。
ぼんさん(女性/35歳)の
エピソード
小さい時から女手一つで私達3人を育ててくれた母。働き者で料理上手でいつも元気、そしてとてもお酒好き。特にビールは大好きで必ず一日一本は飲んでいた。仕事から帰ってきて魔法のような速さで何品もおかずを作りみんなでワイワイ今日の出来事をしゃべりながらごはんを食べる。そしていつも母の隣にはビールがあった。そんな母がずっと私のあこがれだった。小さい頃は何がおいしいのか、ジュースの方が絶対おいしいのに、と思っていた。そんな私も子供4人の母になった。母のようにあこがれの母になれているかは分からないが母と同じことろがある。ワイワイ今日の出来事をしゃべりながらごはんを食べる。そして私の隣にもいつもビールがあるということ。この歳になって母の気持ちが分かる気がする。一日の育児や家事が終わりビールをあけると今日も一日頑張ったね、って思える。飲み終わると明日も頑張ろう、って思える。素敵な思い出、素敵な時間をありがとう。
ぽれぽれぱんださん(女性/39歳)の
エピソード
大学入学を機に家を出て、一人暮らしが思いのほか楽しく、また勉強やアルバイトが忙しく、仲が悪いわけでもないのに年に一度しか帰省しなくなりました。大学卒業後に結婚し、主人を連れてはじめての帰省で家族揃ってビールで乾杯。実家のビールも、主人の実家のビールも、昔からずっとアサヒスーパードライだと盛り上がりました。私が実家で過ごしていた頃の母は、あまりお酒を飲むイメージがなかったのですが、年に一度の帰省のたびに、ビールで乾杯し真っ赤な顔をして飲んでいました。口下手な母も、そんな時は饒舌です。子供が産まれ、慌ただしくなり、数年に一度の帰省になってしまいましたが、電話をするたびに、「何か必要なものある?」「何でもこっちで買えるから大丈夫だよ」という会話をするのが定例化しています。それでも何か贈りたいと考えてくれているのか、度々母からアサヒスーパードライが送られてきます。子供がある程度大きくなると、アサヒスーパードライとジュースのセットになりました。そして、我が家に送ると同時に主人の実家にもビールを送るらしく、「いつもビールありがとう」との連絡が届きます。遠く離れて、三家族で乾杯。また家族で揃って乾杯しようね、という、母の心遣いを感じます。今度の帰省では、ビール持参、そしてかわいいビールグラスをお土産に帰りたいと思います。
そらてりさん(女性/46歳)の
エピソード
私の母はお酒が飲めない人だと思っていた。子どもの頃から母がお酒を飲んでいるのを見たことがない。晩酌をする父には冷えた瓶ビールと特別におつまみを用意し子供たちにはご飯を食べさせ、母は食卓の終盤にやっと席につき家族の残りものを食べていた記憶しかない。その後私は県外で就職し一人暮らしを始めた。初めての帰省で母は相変わらず手料理でもてなしてくれた。「お父さんと二人の食卓は寂しいでしょう?」と私が聞くと母は笑って首を振った。「あんたビール飲むん?」と聞かれ仕事の飲み会で覚え大好きになったビールなので「もちろん!」と一言。母がグラスを3つ持ってきたのに驚いた。「お母さんお酒飲めるようになったの?」「子育ての時は忙しくてゆっくり飲む暇もないしそんな気持ちにもならなかったのよ。本当は大好きで妊娠するまではお父さんと二人で飲んでたんよ。」「母さんは今なんて俺よりゆっくり晩酌を楽しんでるんよ。」と父が一言。3人で乾杯してビールを一口飲んだ母の幸せそうな顔。子育てで忙しくて大好きなビールをずっと我慢していたなんて!早々に酔って寝てしまった父は放っておいて母と二人ゆっくりビールを飲んで仕事の愚痴や地元のうわさ話に花を咲かせた。ほんのり赤くなった母の顔を見て私はこれから帰省の時はビールを手土産にしようと心に決めた。
ボンズさん(男性/26歳)の
エピソード
大学卒業までの23年間を実家で過ごした私は就職と同時に実家を出た。実家で暮らしている時はビールを飲むことはほとんどなかった。両親は大のビール好きでよく2人で晩酌をしていた。夜、学校やアルバイトから帰ると「おい!飲むか?」と毎回聞かれた、でも私はやめとくわとほとんど断っていた。だが時々「今日は飲むか!」と言うと両親は嬉しそうにしていた。就職をしてから実家には仕事が忙しくてあまり帰らなかった。でもたまに帰ると父より先に帰ってきている母がおつまみを用意して待っていてくれた。いつも父が「飲むか?」と聞いてくるがそんな時は母が聞いてくる。「よし、飲むか」と言うと、とても喜んでくれる。お父さん帰ってくる前に飲んじゃおうかと笑顔の母と始まる2人の晩酌。普段はそんなこと言えないが酔っ払うといつも出てくるのは感謝の言葉だ。だが母はいつも「もう、酔っ払ったの?」と照れながら言う。今でも感謝の言葉を伝える為にビールを飲んでいる私がいる。いつもビールが私の背中を押してくれる。お母さんいつもありがとう!
けいさん(女性/55歳)の
エピソード
今年で七回忌を迎える母ー。そんな母と、私が嫁いでから初めて二人っきりで旅行をしたのは、20年以上も前のこと。子供の頃から働き詰めで、家族とどこかに出掛けるなんてめったになかったので、誘われた時はどうしたものかと思いました。いつも静かな母は、自分の事はあまり話さなかったので蟹食べ放題の日帰りバスツアーと聞いて、蟹が好きだったんだ!と初めて知りました。温泉付きだったので湯上がりの一杯、『たまには良いよね!』とビールを飲んで…。いつも、酒豪だった父を眉を細めて見ていた母は、お酒が飲めない人だと思ってたので…今更ながらビックリ!自身が嫁いだ時の話や、幼少の話、学生時代の意外な趣味。饒舌になった母の話はとても面白く知らなかったことばかりで楽しい時間でした。のちに病に倒れ、病院生活が続き、お見舞いの度に『あの時のビールが一番美味しかったなー』と話していた母。娘がお嫁に行ったら、私も娘と二人っきりで、蟹を食べに行こうと思ってます。人生で一番美味しいビールを飲むためにー。
うたり~のさん(女性/50歳)の
エピソード
私は、地元を離れて東京の大学に進学した。1人っ子だったのに、ほとんど家には連絡もせず、学校とバイトに明け暮れて、気ままに過ごしていた。そんなある日、母が仕事で東京に来て、2泊する事になった。1日は仕事、でも後の1日半は自由だったから、東京の観光名所を回る事にした。母は50歳手前。遊園地の絶叫に乗せたり、浅草で団子をたべたり…そして、せっかくだからと家でご飯を作ってビールで乾杯した。母はお酒に弱いのに、嬉しそうに飲んで、早々に酔い潰れてしまった。私にとって母は、生まれた時からずっと、高い所から見守っていてくれて、追いつけない人だったのに、子供の前で呆気なく酔い潰れて、弱い姿を見せるなんて、何だか寂しいような、でも母に届いたようで嬉しいような。あれから約30年が経ち、今度は私が子供の前で酔い潰れている。そっか、子供に弱いところを見せられるくらい、子供が成長したんだな。何か嬉しいな。母も、あの時、嬉しくて安心して酔っ払ったんだなって、やっとわかったよ。こうやって、家族の時は紡いでいくんだな。もうすぐ80歳になるけど、また乾杯しようよ。
つばささん(男性/43歳)の
エピソード
ある日、私は仕事でおっきなミスをして、先方には怒鳴られ、会社では怒られ、気がつけば、家の玄関の前でした。母親と二人暮らしの私は、母に心配させるのもイヤだったので、いつものように気丈に振る舞うべく明るく ただいま! と言いました。いつものように椅子に座りテレビを観ていた私に母はポンと私の目の前にビールを置きました。とりあえず、イヤなことはこれで忘れると言い、グラスに溢れんばかりのビールを注ぎました。私もこぼれんばかりの涙を溜めて、飲んだのを覚えています。それから、数年後、私は結婚を前提にお付き合いしている彼女を母親に紹介としようと考えていました。その頃は仕事も忙しく、なかなか母とも会話する時間もなかったのです。そうこうしていたある日、仕事が早く終わり、今日は彼女に会ってほしいと言えるチャンスだと家路を急ぎました。いつものように椅子に座りテレビを観ていた私に母はポンと私の目の前にビールを置きました。そして、グラスも2つ置きました。おめでとう!よかったね。今は母と妻と私の3人で晩酌しています。
BULLさん(男性/53歳)の
エピソード
母は、ビールがあまり飲めない。というよりも、アルコールが弱すぎるくらい弱い。それなのに私が成人した時、父が息子と飲みたがっていると察し、「風呂上がりはビールやねぇ。」といつもより通る声を発し、大瓶をおもむろに抜いた。自分は1cmも飲んだら真っ赤っかになるのに、大瓶。「お母さん一人じゃ無理やから、2人もコップ持って。」と父と私に差し出した。父は苦笑い。僕も微笑。母は1人ニコニコ。おつまみに置いてあった明太子より真っ赤な顔で。 父が東京での暮らしはどうだとか、大学生活は頑張っているのかとか、銀座より今は渋谷だろうとか一方的に話す。僕があまり言葉を発しない分、母が「そりゃそうよ。」「彼女ができたら、遊びに連れてくるのかなぁ。」などと相槌のようなダメ出しのような台詞を浴びせかける。一口飲んだだけで、べらぼうに喉の調子が良いのか捲し立ててくる。ビール会社に申し訳ないくらい少量で、ほろ酔い。安いビールである。その分父と2人でビールの空き瓶を並べていく。気がついたら、母は誰よりもタップリ飲んだような顔で眠っていた。 口下手な男達のことを考えて、自分はそんなに飲めないビールを出してくれた母。「趣味は家族。」と恥ずかしげもなく答える母。自分のコップは冷えてないのに、父と僕のコップは冷蔵庫でキンキンに冷えていた。ありがとう、お母さん。