音を楽しむ
社会人になって随分経ちますが、学生の頃と比べて一番失ったものは何か、皆さん考えたことがありますか。先日珍しく部屋の整理をしていたところ、ふと押入れの奥から発見したのがこれです。
確か中学に入学した頃、それまで使っていたクラッシックギターに加え、フォークギターを親から買ってもらったと記憶しています。当時は純粋に音との触れ合いが大好きで、毎日飽きもせず独学で練習していました。その頃流行っていたサイモン&ガーファンクルやレッド・ツェッペリンの曲をヘッドフォンから聞いて、同じメロディを自分のギターで再現するいわゆる耳コピーが得意だったので、楽譜がなくても同じ音を発見できることが楽しくてたまらなかったことを懐かしく思い出しました。高校時代から文化祭や公会堂で披露したり、かなりはまっていたはずなのに、今は音楽というと年に数回カラオケボックスに行くぐらいです。仙台にいた頃は、仙台フィルの演奏会に2度ほど仕事がらみで行ったことがありましたが、私の中で社会人になって一番失ったものは音楽、音を楽しむことだと思います。特に自分で演奏することは、歌を歌うことと比べて身近なことでないため、社会人になってあまり余裕がない当時、いつの間にか自分の中から消してしまったような気がしました。
このギター、もう20年以上ほとんど触れていません。引越や結婚した時に邪魔だから捨てようかと迷ったこともありましたが、結局捨てられず今も押入れの隅で申し訳なさそうに隠れていました。ケースを開けてみると無残にも弦が1本切れています。最後にいつ使ったかは全く覚えていませんが、その時に切れたのでしょう。人間、子供の頃に泳ぎを覚えたら、大人になって急に水に入っても泳げると聞きますが、ギターについては指が覚えているものなのでしょうか。この夏休みにでも弦を買って久々に音を楽しんでみようかと一瞬思いましたが、なかなか時間的な余裕がないこともあり気分は全然乗ってきません。何か面倒臭いし、一度冷めた情熱は急に復活するものではありません。
音楽は演奏するにせよ、歌うにせよ、鑑賞するにせよ、人間の生活の中で安らぎの場を与えてくれるものだと思います。趣味としてもとても素敵なものです。今後高齢化社会が進む中、老後に趣味を楽しむことも大切なことだと思います。私の老後の楽しみの一つとして活躍してもらうためにも、今はもうしばらく押入れの中で眠っていてもらおうと、ギターケースを閉じて元の場所に戻しました。
(所長)
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